今はこれを聞きながら作品を作ってます。
"Amazing Grace"
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wrech like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.
Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.
Yes, when tihs heart and flesh shall fail,
Ans mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.
When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.
2009年2月27日金曜日
2009年2月20日金曜日
躁について
昨日このブログでも書いた様に、やっと自分が躁であることを自覚した。というより今まで自覚できていなかった。なぜなら今まで私は、躁は鬱の合間に出てくるものだと思っていたからだ。躁症状になる人には、必ず鬱症状も現れる。そう思っていたから自分はただ元気なだけだと感じていた。
最後に私に鬱症状がでたのは十代の終わりで、その時は失恋がきっかけで一年ぐらい鬱っぽいのが続いた。そして二十歳を過ぎてからは今に至るまでずっとこんな感じで、例えばいわゆる普通の人がブレーキをかけるような場面でも平気でアクセルを踏み込んでいったりした。もちろん躁な時だけ。そしてブレーキをかけている人を見て、この人頭おかしいんじゃないの?そこでアクセル踏み込めばもっと人生楽しくなるのに、と思っていた。けれども自分が躁であることを自覚して、やっとわかった。おかしいのは周りのみんなではなく、ブレーキのない自分だったんだと。
躁病を通じて種々様々なことについての理解が深まった気がする。例えば音楽について、ワーグナーやモーツァルトはほぼ確実に躁病だったんじゃないかと思う。うつ症状が彼らに出ていたかどうかは分からないが、タンホイザーや41番なんかを聞いていると彼らが躁であったことがよくわかる。本当に彼らが躁病であったかどうか、もちろんそこに科学的根拠はないが。
躁病についての知識を得て、自分にも躁症状が出ていることが自覚できたのちに、彼らの音楽を聞くと、ああそうか、そうだったんだと目から鱗が落ちる思いをした。
だからか、と。
この辺わからない人には、さっぱりわからないと思う。
もしこの数年間の自分の躁症状により迷惑を被っている人がいたら、この場を借りて謝りたい。すみませんでした。これからは自分の理性と常識を頼りに、もう少しブレーキをかけていこうと思う。日常生活では。
もちろん作品制作の時は、日常生活でブレーキをかける分ぶっぱなしていきたいと思う。だから病院にも行かない。
写真は聖イグナチオ教会の尖塔。
嬉しくなりすぎてしまうんです
まあ躁なんでしょうね。
よく泣きそうになるんです。嬉しすぎて
仕事中とか、普通に外歩いている時とか。生きていることが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、涙が溢れ出てきそうになるんです。何かに感動して泣いたりとか、そういうのとは別物です。
何年か前に和食の店で働いていたときに、カウンター越しに客の前でたまに泣きそうになりました。普通に仕事していて嬉しくなっちゃったんでしょうね。普通の仕事と言っても本当に普通で、魚を焼いていたり、野菜を刻んだりとか、その程度の。
結局いつも泣かないですけど。
作品は抜群に作れますけどね。
クスクスクスッ
楽しくなりすぎないこと。もとい嬉しくなりすぎないこと。といつも自分に言い聞かせてますがダメですね。
やっぱり躁か
よく泣きそうになるんです。嬉しすぎて
仕事中とか、普通に外歩いている時とか。生きていることが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、涙が溢れ出てきそうになるんです。何かに感動して泣いたりとか、そういうのとは別物です。
何年か前に和食の店で働いていたときに、カウンター越しに客の前でたまに泣きそうになりました。普通に仕事していて嬉しくなっちゃったんでしょうね。普通の仕事と言っても本当に普通で、魚を焼いていたり、野菜を刻んだりとか、その程度の。
結局いつも泣かないですけど。
作品は抜群に作れますけどね。
クスクスクスッ
楽しくなりすぎないこと。もとい嬉しくなりすぎないこと。といつも自分に言い聞かせてますがダメですね。
やっぱり躁か
2009年2月2日月曜日
スイッチが入りました
久しぶりにKOKIAを聞いた。昔受験生だった頃、受験勉強が一番きつかった時期にKOKIAを聞いて大泣きした覚えがある。それ以来ほとんど聞いていなかったが、久々に何かを予感し、ベスト盤を買って聞いてみた。
さすがに今となっては泣きはしないが、確かに彼女の歌には心を揺さぶるものがあると思った。それは河瀬直美が監督した「殯の森」を見たときに感じたある種の力強さと通じる所があって、芯の揺るがない表現というか、うまく言葉にはできないが、人に向かって表現したくてしょうがないですっていうか、そういう所らへんが心に響いてくるんだと思う。全然説明になってませんが。
5,6年前に蒔かれた種が今、私の中で発芽しようとしています。
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