2009年1月30日金曜日

プラハ(8月19,20,21日)

私たちがプラハを訪れた8月20日は、奇しくも1968年にワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入したその日でした。
プラハの春が弾圧され、ちょうど40年ということで色々な催しが行われていました。広場で写真展示が行われていたり、博物館前で当時の様子が再現されていたり。軍事介入がどんなものであったのかその雰囲気を伺い知ることができました。



言わずと知れたF.O.ゲーリー設計のダンシングビル。ゲーリーの建築は07年にボストンで見たM.I.Tのステイタセンター以来二作目ですが、このダンシングビルはそのステイタセンターと比べ外観はかなり控えめでした。それもそのはず、歴史のあるプラハの町にステイタセンターのような明らまさな脱構築的外観は似合うはずもないでしょう。
賛否のある建築ですが、このダンシングビルがプラハにあることにより、プラハという町がよりいっそう魅力的になっていると思いました。
この旅では他にもベルリンで、同じくゲーリーが設計したDZ銀行も見ることができました。


私は写真のこの教会で聞いたシューベルトのアヴェ・マリアを生涯忘れないことでしょう。このヨーロッパツアーの手配はほぼ私一人でやっていたのですが、準備に半年以上かけたこの仕事が、このアヴェ・マリアですべて報われたような気がしました。教会に響き渡る歌声を聴きながら、私は自然と溢れ出る涙を止めることができませんでした。宗教音楽とは、救いとはこういうものなのでしょうか。

プラハはとても美しく、居心地のよい町でした。いずれまた訪れようと思います。

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