2009年2月20日金曜日

躁について


昨日このブログでも書いた様に、やっと自分が躁であることを自覚した。というより今まで自覚できていなかった。なぜなら今まで私は、躁は鬱の合間に出てくるものだと思っていたからだ。躁症状になる人には、必ず鬱症状も現れる。そう思っていたから自分はただ元気なだけだと感じていた。

最後に私に鬱症状がでたのは十代の終わりで、その時は失恋がきっかけで一年ぐらい鬱っぽいのが続いた。そして二十歳を過ぎてからは今に至るまでずっとこんな感じで、例えばいわゆる普通の人がブレーキをかけるような場面でも平気でアクセルを踏み込んでいったりした。もちろん躁な時だけ。そしてブレーキをかけている人を見て、この人頭おかしいんじゃないの?そこでアクセル踏み込めばもっと人生楽しくなるのに、と思っていた。けれども自分が躁であることを自覚して、やっとわかった。おかしいのは周りのみんなではなく、ブレーキのない自分だったんだと。

躁病を通じて種々様々なことについての理解が深まった気がする。例えば音楽について、ワーグナーやモーツァルトはほぼ確実に躁病だったんじゃないかと思う。うつ症状が彼らに出ていたかどうかは分からないが、タンホイザーや41番なんかを聞いていると彼らが躁であったことがよくわかる。本当に彼らが躁病であったかどうか、もちろんそこに科学的根拠はないが。
躁病についての知識を得て、自分にも躁症状が出ていることが自覚できたのちに、彼らの音楽を聞くと、ああそうか、そうだったんだと目から鱗が落ちる思いをした。
だからか、と。
この辺わからない人には、さっぱりわからないと思う。

もしこの数年間の自分の躁症状により迷惑を被っている人がいたら、この場を借りて謝りたい。すみませんでした。これからは自分の理性と常識を頼りに、もう少しブレーキをかけていこうと思う。日常生活では。
もちろん作品制作の時は、日常生活でブレーキをかける分ぶっぱなしていきたいと思う。だから病院にも行かない。

写真は聖イグナチオ教会の尖塔。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アクセルがないとブレーキの存在する意義はないですからね。
作品楽しみにしています!