2009年12月30日水曜日

年賀状


何年ぶりかで年賀状を作った。
写真は乾燥中の年賀状。
メタリックな紙に刷ってます。
この紙が高くて一枚200円もしたよ...

2009年12月18日金曜日

久々だ

更新が

今日はたまたま韓国から来ている留学生のキム君と飲んだ。
キム君は来週からイギリスに留学に行くそうで、今日話せて本当に良かった。

キム君とはたまたまの出会いが何回かあって、そういう出会いをする人とはやっぱり何か縁があるんだなって思う。本当に今日飲んだのも偶然だし、

彼は向上心があって話をしていると自分にも刺激になってとてもおもしろかった。

自分もやらねば

2009年7月19日日曜日

ランドリーより愛をこめて


写真はそとです

高校生の頃、UAが大好きでいつも聞いてました

you tubeで久々の再会

「ランドリーより愛をこめて」


2009年7月8日水曜日

第一生命相互館ビル


京橋にある第一生命相互館。

もうすぐ壊されそうな雰囲気だったんで写真撮ってきました。
レバーハウスの竣工が1952年。どう真似ればこんな不細工になるんでしょうか。不思議でたまりません。その不細工さがかわいいんですけどね

日本に波及したインターナショナルスタイルの外観を示す一例(ガラス張りじゃないけどね)として、保存しておくべきじゃないかと思うんですが、まあ無理でしょうね。
残念

2009年5月9日土曜日

デッサウ(8月24,25日)


バウハウスです。
デッサウはヴァイマールとはかなり雰囲気の違う町でした。旧東ドイツ臭の漂う町と言えばおわかりいただけるでしょうか。といっても格段雰囲気が悪いというわけではありません。駅前なども整備されきれいになっていました。






バウハウスデッサウ校内にある当時の学生寮です。
今回はここに泊まることができました。日本人の感覚からすると部屋がかなり広く感じられました。
調度品などのデザインは洗練されていてとても美しいのですが、一人部屋にいると殺風景で冷たい感じがして寂しくなってきます。
いわゆるモダニズム建築で見落とされた一つの欠点でしょうか。








バウハウスの教授たちが住んだマイスターハウス。
バウハウス校舎から歩いて10~15分くらいです。写真に見られるように、周りは木々に囲まれていて、そこにいるだけで気分がリフレッシュするような土地に建てられていました。
こんな所に住んで創作活動ができたら最高です。

マイスターハウスは内装の色の使い方が素晴らしかったです。とても勉強になりました。

ヴァイマール(8月23日)


今回のワークショプで回った町の中で、ヴァイマールはデッサウの次ぐらいに小さな町でしたが、歴史と文化と伝統が感じられるとてもいい町でした。
今回の旅で訪れたのは、ゲーテとシラーの銅像が建つ国民劇場、ゲーテの家、シラーの家、クラナッハの祭壇画があるヘルダー教会、バウハウス博物館、そしてワイマール公の城(美術館)でした。

写真はワイマール公の城の隣にあった公園の橋です。美術館の収蔵作品の質の高さもさることながら、とても気持ちのいい公園でした。

明日まで





正確には日付が変わっているので今日まで。
今自分が出品している美学校のクラス展、室内写生展。

あまりいい作品が出せたとは思わないが評判は上々。
世の中に対するアプローチの仕方は間違っていないということか。

どちらにしろもっと質の高い作品を作らねば

2009年4月8日水曜日

5月の展覧会



やっと5月のグループ展、室内写生展のDMを入稿した。こういうの久々だから入稿データを揃えるのに軽く手間取った。クッ…
作品を作らねばならいのに、作品を作りたいのに、次から次に雑務が舞い込んでくる。うぅ…
なんとかうまくこなせたらいいんだが…
クスックスッ…

2009年3月11日水曜日

制作中の作品について


写真は完成直後の作品の部分写真。
ゴールデンウイークに展覧会があって、それに向けて現在制作中。こういう感じの作品は昔から作っていたが、ちゃんと展示をした事がない。なぜなら今まで写真のような作品は小さいのしか作ってなくて、展示に耐えるほどの大きさの作品を作る自信がなかったからだ。まあ今はその自信があるから作っているんだが。

今までというか最近作品を制作している時は、ゴールの見えない道をただ闇雲に走っている感じで、自分の作品に今一自信が持てなかった。だが今回はゴールが明確に見えていてそこに向かって全力疾走している感じだから、制作していてとても楽しい。こんな感じは何年ぶりかで、やっぱりこういう作品を作るべきだったんだなとつくづく思う。

けど一つ残念な事があって、この作品は写真の様に、完成直後の絵の具が乾く前が一番美しい。乾いた後の作品を見ると少し残念に思ってしまったりもする。完成直後の作品は、瑞々しくて生きているかのように感じるが、乾いてしまうとその生気が失われてしまったような感じがする。

そこが今後の課題ということか。

核心が書けてない気がするが今日はここまで

2009年2月27日金曜日

Amazing Grace

今はこれを聞きながら作品を作ってます。

"Amazing Grace"

Amazing grace how sweet the sound
That saved a wrech like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.

Yes, when tihs heart and flesh shall fail,
Ans mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.

The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.

2009年2月20日金曜日

躁について


昨日このブログでも書いた様に、やっと自分が躁であることを自覚した。というより今まで自覚できていなかった。なぜなら今まで私は、躁は鬱の合間に出てくるものだと思っていたからだ。躁症状になる人には、必ず鬱症状も現れる。そう思っていたから自分はただ元気なだけだと感じていた。

最後に私に鬱症状がでたのは十代の終わりで、その時は失恋がきっかけで一年ぐらい鬱っぽいのが続いた。そして二十歳を過ぎてからは今に至るまでずっとこんな感じで、例えばいわゆる普通の人がブレーキをかけるような場面でも平気でアクセルを踏み込んでいったりした。もちろん躁な時だけ。そしてブレーキをかけている人を見て、この人頭おかしいんじゃないの?そこでアクセル踏み込めばもっと人生楽しくなるのに、と思っていた。けれども自分が躁であることを自覚して、やっとわかった。おかしいのは周りのみんなではなく、ブレーキのない自分だったんだと。

躁病を通じて種々様々なことについての理解が深まった気がする。例えば音楽について、ワーグナーやモーツァルトはほぼ確実に躁病だったんじゃないかと思う。うつ症状が彼らに出ていたかどうかは分からないが、タンホイザーや41番なんかを聞いていると彼らが躁であったことがよくわかる。本当に彼らが躁病であったかどうか、もちろんそこに科学的根拠はないが。
躁病についての知識を得て、自分にも躁症状が出ていることが自覚できたのちに、彼らの音楽を聞くと、ああそうか、そうだったんだと目から鱗が落ちる思いをした。
だからか、と。
この辺わからない人には、さっぱりわからないと思う。

もしこの数年間の自分の躁症状により迷惑を被っている人がいたら、この場を借りて謝りたい。すみませんでした。これからは自分の理性と常識を頼りに、もう少しブレーキをかけていこうと思う。日常生活では。
もちろん作品制作の時は、日常生活でブレーキをかける分ぶっぱなしていきたいと思う。だから病院にも行かない。

写真は聖イグナチオ教会の尖塔。

嬉しくなりすぎてしまうんです

まあ躁なんでしょうね。
よく泣きそうになるんです。嬉しすぎて
仕事中とか、普通に外歩いている時とか。生きていることが嬉しくて嬉しくてたまらなくて、涙が溢れ出てきそうになるんです。何かに感動して泣いたりとか、そういうのとは別物です。
何年か前に和食の店で働いていたときに、カウンター越しに客の前でたまに泣きそうになりました。普通に仕事していて嬉しくなっちゃったんでしょうね。普通の仕事と言っても本当に普通で、魚を焼いていたり、野菜を刻んだりとか、その程度の。
結局いつも泣かないですけど。

作品は抜群に作れますけどね。
クスクスクスッ

楽しくなりすぎないこと。もとい嬉しくなりすぎないこと。といつも自分に言い聞かせてますがダメですね。
やっぱり躁か

2009年2月2日月曜日

スイッチが入りました


久しぶりにKOKIAを聞いた。昔受験生だった頃、受験勉強が一番きつかった時期にKOKIAを聞いて大泣きした覚えがある。それ以来ほとんど聞いていなかったが、久々に何かを予感し、ベスト盤を買って聞いてみた。
さすがに今となっては泣きはしないが、確かに彼女の歌には心を揺さぶるものがあると思った。それは河瀬直美が監督した「殯の森」を見たときに感じたある種の力強さと通じる所があって、芯の揺るがない表現というか、うまく言葉にはできないが、人に向かって表現したくてしょうがないですっていうか、そういう所らへんが心に響いてくるんだと思う。全然説明になってませんが。

5,6年前に蒔かれた種が今、私の中で発芽しようとしています。

2009年1月31日土曜日

ドレスデン(8月22日)


写真はドレスデンの中心にあった共産主義時代の遺産。やはり旧東ドイツ、こういうのが残っている所が面白い。
ドレスデンは中心を少し離れると殺伐としていて人気も少なく、治安の悪そうな感じでした。夜なんかは絶対一人で出歩きたくないです。
とはいってもやはり歴史のある町。再建されたフラウエン教会やツヴィンガー宮殿は美しいものでした。

2009年1月30日金曜日

プラハ(8月19,20,21日)

私たちがプラハを訪れた8月20日は、奇しくも1968年にワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入したその日でした。
プラハの春が弾圧され、ちょうど40年ということで色々な催しが行われていました。広場で写真展示が行われていたり、博物館前で当時の様子が再現されていたり。軍事介入がどんなものであったのかその雰囲気を伺い知ることができました。



言わずと知れたF.O.ゲーリー設計のダンシングビル。ゲーリーの建築は07年にボストンで見たM.I.Tのステイタセンター以来二作目ですが、このダンシングビルはそのステイタセンターと比べ外観はかなり控えめでした。それもそのはず、歴史のあるプラハの町にステイタセンターのような明らまさな脱構築的外観は似合うはずもないでしょう。
賛否のある建築ですが、このダンシングビルがプラハにあることにより、プラハという町がよりいっそう魅力的になっていると思いました。
この旅では他にもベルリンで、同じくゲーリーが設計したDZ銀行も見ることができました。


私は写真のこの教会で聞いたシューベルトのアヴェ・マリアを生涯忘れないことでしょう。このヨーロッパツアーの手配はほぼ私一人でやっていたのですが、準備に半年以上かけたこの仕事が、このアヴェ・マリアですべて報われたような気がしました。教会に響き渡る歌声を聴きながら、私は自然と溢れ出る涙を止めることができませんでした。宗教音楽とは、救いとはこういうものなのでしょうか。

プラハはとても美しく、居心地のよい町でした。いずれまた訪れようと思います。

2009年1月29日木曜日

オシフィエンチム(8月18日)


 オシフィエンチムを訪れたのは、アウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所跡をこの目で見るため。20世紀の負の歴史が凝縮しているような場所ですが、良くも悪くも観光地化していました。大勢の人が観光バスで訪れ、ガイドに連れられ見学し、また去っていく。多くの人がこの地を訪れるのは、歴史を学ぶことの重要性を知っているからこそなのでしょうが、私はそこに虚無感を感じました。おそらく私だけでなくここを訪れた多くの人が感じていることと思いますが。
 写真は、アウシュビッツ国際青年交流センター(IYMC)で見た内海信彦さんの作品。この作品からは、アウシュビッツで亡くなられた人々の声、その歴史を伝えてきた人々の思い、それら全てが凝縮され視覚を通じて体中に伝わってくる気がしました。